死者の書 第125章 42の否定告白
古代エジプトでは、死者はオシリスに死後の審判を受けると考えられていた。マアトの羽根の載せられた天秤の前で、秩序に調和して生きてきたことを告白するとされ、死者の書に刻まれた文書は「42の否定告白」と呼ばれる。
私は罪を犯していない。(社会や人間関係を壊すような行為をしていない)
私は暴力を行っていない。(物理的にも言葉でも、人を傷つけていない)
私は略奪をしていない。(他人の成果や権利を横取りしていない)
私は人を殺していない。(直接的な暴力以外にも、他者の可能性や心を潰していない)
私は穀物を盗んでいない。(人の努力や生活の糧を奪っていない)
私は供物を奪っていない。(他人の信仰や大切にしているものを軽んじていない)
私は神々の神殿を盗んでいない。(公共の場や共有資産を私物化していない)
私は嘘をついていない。(誤魔化さずに誠実に生きている)
私は食べ物を持ち去っていない。(自分の分以上を貪らず、他者の分を奪わない)
私は呪いをかけていない。(陰口や悪意ある言葉で人を傷つけていない)
私は姦淫をしていない。(信頼を裏切るような性的関係を持っていない)
私は人を泣かせていない。(他人の心を軽んじて傷つけていない)
私は食べ物を浪費していない。(食べ物を粗末にせず、感謝していただいている)
私は心を鈍らせていない。(怠惰や無関心にならず、感受性を保ち続けている)
私は不当に性的関係を持っていない。(相手を尊重しない自分本位な関係を持っていない)
私は誰かを恐れさせていない。(力や立場を利用して人を支配していない)
私は不正を行っていない。(不公平なことをせず、正直に生きている)
私は怒りを増長させていない。(自分や他人の感情を煽っていない)
私は耳をふさいでいない。(他人の声や真実を聞こうとせずに無視していない)
私は真実を冒涜していない。(自分の都合で事実をねじ曲げていない)
私は不正を口にしていない。(嘘やデマを広めていない)
私は不正を行う者と同席していない。(悪事に加担していない)
私は悪を行っていない。(人を害する行為をしていない)
私は日ごとのパンを奪っていない。(生活に必要なものを不当に奪っていない)
私は子どもの口から乳を奪っていない。(弱者の権利や未来を奪っていない)
私は水を妨害していない。(人が生きるために必要なものを妨げていない)
私は放埒にふけっていない。(節度を失って他人に迷惑をかけていない)
私は怒りに任せて行動していない。(衝動に流されず、冷静に判断している)
私は暴力をふるっていない。(直接的な力だけでなく、精神的圧力もかけていない)
私は不当に裁いていない。(偏見や一方的なものさしで他人を決めつけていない)
私は人々を欺いていない。(人をコントロールするために偽の情報を流していない)
私は真理を踏みにじっていない。(知っているのに黙ったままでいない)
私は神の羊を盗んでいない。(他人の信仰や大切なものを利用して利益にしていない)
私は心を高ぶらせていない。(傲慢になって他人を見下していない)
私は耳をふさいで真理を拒んでいない。(不都合だからと事実から逃げていない)
私は不正を見て笑っていない。(悪事を面白がって受け入れていない)
私は神殿を汚していない。(神聖なものや大切な場を乱していない)
私は神を侮辱していない。(信仰や精神性を軽んじていない)
私は怒りで他人を傷つけていない。(感情のままに言葉や態度で相手を害していない)
私は悪を作り出していない。(意識的に問題や争いを起こしていない)
私は財産を盗んでいない。(人の物を不当に奪っていない)
私は不正なことをしていない。(誰かを傷つけるようなことを選んでいない)
今の私たちにとって道徳的にも感じられるような内容が続いていて、いわば身も蓋もなく「正論」ばかりだと感じられるかもしれない。だが古代エジプトの霊性は「マアト」、宇宙の法則の下で成立していたことを考えると、この42の「してはいけないこと」リストはメタフィジックスにも通じ、個々のエゴの働きを抑制する形で組み上がっている。