ヴォイニッチ写本

ヴォイニッチ写本とは?600年解読不能な”世界一謎の本”

 15世紀に書かれた本なのに、21世紀の今も誰も読めない。暗号解読の専門家も人工知能も歯が立たない。ヴォイニッチ写本は世界で最も有名な未解読文書だ。約240ページの羊皮紙の写本に描かれているのは、奇妙な植物、裸体の女性たち、天体図。絵だけでなく、誰も解読できていない文字がびっしりと記されている。

ヴォイニッチ写本とは何か

 ヴォイニッチ写本は現在、アメリカのイェール大学のバイネッキ稀覯本・写本図書館に所蔵されている。正式な名称を『Beinecke MS 408』という。1912年にイタリアでこれを購入した古書商、ウィルフリッド・ヴォイニッチからその名がついた。彼はローマ近郊のフラスカティという町ににあるヴィラ・モンドラゴーネで、イエズス会が売っていた古書の中からこの写本を見つけた。

 制作年代は長いこと不明だったが2009年に放射性炭素年代測定が行われ、羊皮紙が1404年から1438年の間に作られたものだと判明。この写本は600年前には存在していたのだ。インクの分析結果も15世紀と矛盾しなかったため、現時点では写本自体が15世紀前半に制作されたと考えるのが妥当とされている。

6つのセクション 写本に描かれるもの

 ヴォイニッチ写本は大きく6つのセクションに分けられる。

植物図(Herbal): 最も分量が多い。一見すると植物図鑑のようだが、描かれた植物の大半は現実に存在する種と同定できない。根・茎・葉・花の組み合わせが現実離れしている。

天文図(Astronomical): 太陽、月、星々と思われる図像。円環状のダイアグラムが多く、中世ヨーロッパの天文図との類似が指摘される一方、解釈は定まっていない。

生物図(Biological): 裸体の女性たちが緑色の液体の中や、複雑な配管のような構造の中に描かれている。最も解釈が難しいセクション。

宇宙図(Cosmological): 折り込みページを含む大型の図。地図のようにも、天体配置図のようにも見える。

薬学図(Pharmaceutical): 小さな容器と植物の根の図。中世の薬草学文献との類似が見られる。

レシピ(Recipes): 図像はほぼなく、文字が区切られて並ぶ。何かの手順や配合を記したものと推測されるが、読めないため確認できない。

ヴォイニッチ語 未知の文字体系

 写本が謎と言われる最大の理由は、本文に使われている文字にある。通称「ヴォイニッチ語」に使われた文字は約2、30種類。左から右に読み、行は上から下なので私たちが横書きにするのと同じだ。単語と単語の間にはスペースがあって、自然言語の特徴と一致する。

 自然言語では「ジップの法則」という現象が成り立つ。「最も多く使われる単語は2番目に多い単語の約2倍、3番目の約3倍の割合で使われている」という規則性だ。英語でも日本語でも、ありとあらゆる自然言語はこの法則に従っているのだ。ヴォイニッチ語も同じで、登場する単語の頻度はジップの法則にほぼ従っている。ランダムな記号の羅列ではそうならないので、この特徴から見ても「ヴォイニッチ語」は言語的構造を持つと考えるのは正当だろう。

 だが、ヴォイニッチ語はどの言語体系とも一致しない。ラテン語、ヘブライ語、アラビア語、中世ヨーロッパの各言語……あらゆる原語と照合してみたが、決定的なものがないのだ。

解読への挑戦

 この写本を解読しようと、一流の学者や暗号研究者たちが何度も挑戦を重ねた。第二次世界大戦中に日本の暗号「パープル」を破ったウィリアム・フリードマンもその一人で、晩年までヴォイニッチ写本に取り組んでいた。彼は人工言語説を唱えたが、解読するまでには至らなかった。現在ではコンピュータを使っての分析や機械学習による解読も試みられているが、まだ突破口は開かれていない。

 現在、学術的に議論されている仮説には次のようなものがある。

仮説内容根拠問題点
自然言語の暗号化何らかの実在言語を暗号化した統計的特徴が自然言語に近い暗号体系が特定できない
人工言語・哲学的言語15世紀の知識人が作った人工言語構造の規則性動機と作成者が不明
意味のない偽書(hoax)意味のない記号をそれらしく並べたゴードン・ラグがグリル法での模倣を実証数百ページを偽造する動機・労力が説明困難

 ヴォイニッチを解読したと主張する研究者は定期的に現れる。近年でも「古いトルコ語」「原始ロマンス語」「ヘブライ語の変種」などの説が発表されたが、いずれも他の研究者が行った検証に耐えられず、学術的コンセンサスを得られていない。解読したと認められるには、ただ読み方を示すだけでなく、その方法で写本全体を説明できなければならない。部分的にそれらしく読めるだけでは不十分なのだ。

オカルト的俗説

 ヴォイニッチ写本には根拠のない俗説も多い。最も有名なのは「13世紀の哲学者ロジャー・ベーコンが書いた」という話だ。ヴォイニッチ自身もこの説を支持していたが、年代測定の結果ベーコンの死後100年以上経ってからの羊皮紙だと確定した。

 「宇宙人の言語」「アトランティスの記録」「異次元からの文書」といった主張には、そもそも根拠自体がない。こうした説を楽しむ分には問題ないが、写本の正体を解明する助けにはならない。

謎は解けるのか

 写本の高解像度スキャン画像がイェール大学のデジタルコレクションで無料公開されており、誰でもオンラインで全ページを閲覧できる。公開されたことで世界中の研究者やアマチュアが解読に挑戦できるようになったが、それでも謎は解けていない。

 ヴォイニッチ写本が解読可能かどうかすら、実際には未確定だ。もし本当に意味のある言語で書かれているなら、解読できる可能性はある。だが、もしヴォイニッチ写本が精巧な偽書で「そもそも意味がない」なら、解読という作業自体が成立しない。

 現段階ではっきりしているのはこれだけだ。

・写本は15世紀前半に作られた本物の中世写本である
・文字体系は統計的に自然言語の特徴を備えている
・既知のどの言語とも対応が見つかっていない
・解読者を名乗る者は多いが、学術的に認められた解読は存在しない

 600年の謎は、未だ謎のままだ。

参考資料・リンク
  • Yale University Beinecke Library: Voynich Manuscript (デジタル全文公開) https://beinecke.library.yale.edu/collections/highlights/voynich-manuscript
  • Zandbergen, R. “The Voynich Manuscript” (写本研究の包括的サイト) http://www.voynich.nu/
  • Reddy, S. & Knight, K. (2011) “What We Know About The Voynich Manuscript”
  • Rugg, G. (2004) “An elegant hoax? A possible solution to the Voynich manuscript” Cryptologia

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