スティーヴィー・ニックス

Talk to Me ─ リアノンに呪われた女 スティーヴィー・ニックス

濡れ衣

 やがて2人はフリートウッド・マックに加入。1975年、同名のアルバムがリリースされ、フリートウッド・マックはスターダムへ駆け上がった。だがその頂点に達した瞬間、2人は別れた。次のアルバムのレコーディング中、スタジオの雰囲気は最悪だったという。リンジーは「Go Your Own Way」という曲を書いた。

「荷造りして男のところに転がり込むのがおまえの望みのすべて」

 スティーヴィーは激怒する。「そんなことはなかった。彼と付き合っている間、誰とも寝ていない。彼はそれを知っていて、わざと私を怒らせた」歌詞を変更するよう要求したが拒否され、スティーヴィーはバックコーラスとしてその曲を歌わなければならなかった。リアノンが「自分の子を食い殺した」と嘘をつかれたように、スティーヴィーもまた濡れ衣を着せられたのだ。

もう一人の呪われし者

 呪われていたのはスティーヴィーだけではなく、リンジーも同じだったのかもしれない。彼は「出会ったのは16歳のときで、人生のほとんどを共に過ごした。悲しいことに、その年月にはいつも何かしらの距離と敵意があった」と言った。

 リンジーはバンドを二度離れている。最初の脱退は1987年で、理由は明確にスティーヴィーだった。「次の段階に進む必要があった。誰かと別れてから10年間そばにいて、その人のために働き、その人が自分から離れていくのを見るのは簡単なことじゃない」というのは正直な気持ちだろう。彼女の曲を磨き上げながら、彼女が自分から離れていく様を特等席で見せつけられる苦行。耐えかねて一度は身を引いたリンジーだが、再結成後の2018年には解雇されることになる。自分がスピーチしているときのリンジーの仕草に激昂したスティーヴィーが「彼を取るか、私を取るか」とバンドに迫ったのだ。

 1987年の脱退を聞いた際、スティーヴィーは「殺したくなった」とドキュメンタリーで語っている。激昂して彼の首を絞めようとし、私道で取っ組み合いの喧嘩を繰り広げた。二人は互いから逃れようとして逃れられないまま、半世紀近い時間を愛憎の中で彷徨い続けたのだ。

7年間の罰と証明された潔白

 やがてスティーヴィーのコカイン中毒はピークに達する。鼻中隔に穴が開き、形成外科医は「続けると脳出血を起こす」と警告した。ベティ・フォード・クリニックに入った彼女は30日間でコカインから離脱したが、退所後クロノピンという抗不安薬を処方される。「愚かにも『わかりました』と言った。そして次の8年間の人生が破壊された」—。依存性の高いその薬によって創造性は枯渇し、かつてのセックスシンボルは「小太りの女の子」に変貌した。

 失われた8年は、リアノンの「7年の罰」と奇妙に重なる。自己を失い、薬という怪物に全てを捧げた時間。47日間の過酷な解毒治療を経て、彼女は生還した。「ベティ・フォードが楽勝に見えた。髪が白くなり、肌が剥がれ、ほとんど歩けなかった。ヘロインの解毒は12日で終わるし、コカインは精神的に解毒すればいいだけ。でもトランキライザーは危険」だと言っている。

 「私は自分を救った。誰も私を救わなかった。私が私を救った」リアノンの息子が戻ってきてその潔白が証明されたように、スティーヴィーは8年の地獄を抜けて自分を取り戻した。

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