二つの世界を隔てるヴェールの向こう側 亡くなってもそばにいる人たち
「おばあちゃんが夢に出てきた」「なんとなく気配を感じる」「ふと故人のことを思い出したら、その人の好きだった曲が流れてきた」― こんな体験をしたことがある人は多いのではないでしょうか。
こうした感覚は「気のせい」「偶然」として片付けられがちですが、本当にそうなのでしょうか。私たちはいつの間にか「死」を終わり、断絶、二度と会えないものかのように教え込まれてきました。でも、実際に人類の歴史を見返してみると、死を「断絶」として扱う文化のほうがむしろ少数派だというのが事実です。
Thin Places—境界が薄くなる場所
アイルランドやスコットランドなどのケルト文化圏には、「Thin Places(薄い場所)」—天と地、この世とあの世の境界が薄く、向こう側の存在を感じやすくなる場所という概念があります。
ケルトの人々は古代の聖地や霧に包まれた丘、海に突き出た岬などに特別な力を感じ、そこで死者や精霊が行き来すると考えていました。サウィン(Samhain / 現在のハロウィンの起源)の夜には二つの世界の間にあるヴェールが薄くなり、死者たちが私たち生者の元を訪れます。これは「怖い話」の文脈ではなく「亡くなったおじいちゃんが帰ってくるから、好きだった食事を用意しておこう」という再会を喜ぶものでした。
死者と食卓を囲む―メキシコの「死者の日」
メキシコの「死者の日(Día de los Muertos / ディア・デ・ロス・ムエルトス)」は、死んだ人々を待つという感覚をさらに鮮やかに表現した祝祭です。毎年11月1日〜2日頃に死者の魂が家族のところに帰ってくるとされ、人々は墓地にマリーゴールドを敷き詰め、故人の好きだった食べ物やお酒を供えて一晩中語り合います。
骸骨の仮装をして、骸骨の砂糖菓子を食べるという見た目が驚かれがちですが、メキシコの人々は「死を含めた生」を丸ごと祝うのです。ヨーロッパでは「メメント・モリ(Memento mori / 死を忘れるな)」が深刻な警句のように捉えられますが、メキシコでは「死を忘れない」ことはそのまま「生を祝う」ことに繋がっています。
あの世は「すぐそこ」にある―日本とエジプトの死生観
日本の伝統的な死生観も、死者との距離の近さが前提になっています。
あの世は山の向こうに、あるいは海の彼方にある。亡くなった人たちはお盆になると帰ってくるし、仏壇に話しかければ先祖たちが聞いてくれている。日本人にとって亡くなった家族や友人は「断絶された存在」ではなく、「ちょっと遠くに住んでいる」ような存在でした。沖縄の祖先崇拝や東北のイタコなど、日本各地で亡くなった人たちと交流しようという伝統は今でも続いています。
古代エジプトの人々は亡くなった家族に手紙を書きました。「お父さん、最近隣人と揉めてるんだけど、そっちの世界から何か言ってくれない?」—私たちからすればあまりにも日常的な相談がパピルスに残っています。死者は遠い存在ではなく、「先に逝った家族」として相談さえできるほどだったのです。