十字架の発祥は青森県!?三内丸山遺跡から読み解く“失われたユダヤ十支族”
「十字架」と聞いたとき、キリスト教をイメージする人は多いだろう。だが、そのシンボルが青森県の三内丸山遺跡で発見されているのをどう考えればいいだろう? 日本各地に残るユダヤの痕跡をたどると、一つの大胆な仮説が浮かび上がる — 古代日本は「失われたイスラエル十支族」と密接に関連していたのではないか?というものだ。
■ 三内丸山遺跡と十字
三内丸山遺跡は紀元前約3900年から2200年の縄文時代前期から中期の大規模集落跡だ。太陽を受けて輝く、六本柱の巨大な櫓に見覚えがある人は多いのではないだろうか。縄文時代をイメージしようとすると、原始人のような人たちの時代を思い浮かべるかもしれない。だが、ここで発掘された土偶や装飾品には、「十字」をモチーフにしたデザインが一定量あるのだ。この十字は単なる模様なのか、それとも何か意味があるのだろうか。
十字は世界各地の古代文明に見られるが、特に青森の遺跡から発見されたというところに意味を感じてしまう。青森にはキリスト伝説が残っているのだ — 。
■ キリストの墓は青森に?
青森県新郷村に「キリストの墓」と呼ばれる十来塚がある。ここは観光客にも開放されていて、小高い丘の上に一対の墓・塚があり、大切に祀られている。個々で思い出すのが「イエス・キリストは十字架刑を免れ、日本に渡り、青森で余生を過ごした」という伝承だ。だが、筆者は「実際にはキリストの兄弟が日本に来ていた」のではないかと考える。
なぜなら、イエス本人が日本に渡るより失われた十支族の一部が日本に来たと考える方が歴史的に整合性が取れるからだ。キリストの血族、もしくはキリストの教えを信奉する人間が古代日本に至り、青森でその教えを守りながら暮らしていたのではないか? 合併によって新郷村となった「キリストの墓」のある土地は、かつて「戸来村(へらいむら)」という名前で、これもまたヘブライを想起させる。
■ イスラエル十支族と日本のつながり
「失われたイスラエル十支族」は、紀元前722年に北イスラエル王国が滅ぼされたときに世界各地に離散していったとされる。中国の「開封のユダヤ人」は有名だが、行き先には中央アジア、インド、そして日本も含まれるのではないかと言われる。日本とユダヤの共通点を挙げると
•神道の「神輿」と、ユダヤの「契約の箱(アーク)」
•神社の「鳥居」と、古代ユダヤの神殿の門(トリイ)
•古日本語とヘブライ語には意味や音が似た単語が存在「ヤーウェ(神)」と「ヤマト」等
•皇室儀式とユダヤ教の儀式との類似
これらの点から、日本が古代ユダヤと交流していた可能性は十分に考えられる。
■ バチカンも知っている?封印された歴史
このような説を考えると、一つの疑問が湧く。
バチカン(カトリック教会)は、この事実を知っていたのではないか?
もし日本にキリスト教が入ってくる以前にユダヤとの繋がりを持っていたとすれば、バチカンにとってはキリスト教の正統性を揺るがしかねない。それがひとつの理由となって、古代日本とユダヤとの歴史が意図的に封印されてきた可能性があるのではないだろうか。実際、日本にキリスト教が伝来した際、幕府とバチカンの間では外交的な駆け引きがあったとされる。
そして、世界各地には「イエスの墓」とされる場所が複数存在する。もしイエスの血族が青森に来たのだとすれば、それはバチカンにとって不都合な事実なのかもしれない。
■ 結論——十字架は日本から広まったのか?
三内丸山遺跡の十字の意匠、青森のキリスト伝説、そして日本とユダヤの文化的共通点——これらを総合すると、「十字架の起源が日本にある」という仮説すら浮かび上がる。古代イスラエルが初めて文献に登場したのは紀元前1207年のエジプト・メルエンプタハの石碑で、三内丸山遺跡は先述の通り紀元前約3900年から2200年の遺跡なのだ。
もちろん、これらは考察の域を出ない。しかし、もし今後の考古学的発見によって、日本と古代ユダヤの繋がりが決定的に証明されたら—私たちの歴史観は根底から覆ることになるかもしれない。