守矢神長官史料館

まつろわぬ神々 ミシャグジ神と諏訪の信仰

 大和朝廷が政権を確立していく過程で、それに従おうとしなかった土地の神々は「まつろわぬ神」とされ、歴史の表舞台から退けられた。しかし、彼らは決して消えてしまったわけではなかった。大地に根差し、民とともに生き続けた神々は、今でも静かに自らの土地を見守っている。

ミシャグジ神─畏怖を集める地霊の神

 ミシャグジ(御左口神、御社宮司、御射宮司、御社宮神など多くの表記がある)神は、長野県の諏訪地方を中心に信仰されてきた。石や古木に宿るとも言われる古い神で、諏訪大社の神事にもその痕跡が見られる。かつては狩猟や農耕を司る重要な神だったと考えられている。五穀豊穣、病魔除け、地震に関わる加護など、ミシャグジ神は人々の暮らしに関わる恵みを与えた。その一方、祭祀を怠ったり神域を侵した場合には禍をもたらすと恐れられた。

 また、ミシャグジ神は龍神としての側面も持ち、川や湧水、湿地帯といった水源地に関連する。龍は大地のうねりや水脈の流れを象徴し、豊穣と破壊、生命と死の境界を自在に行き来する存在だ。ミシャグジ神が畏れられたのは、まさにこの龍的な二面性――恵みと脅威という相反する両極によるものだろう。ミシャグジ神は地震と結びつけられることもあり、大地の揺れはミシャグジ神の怒りや動きの現れと考えられた。土地に鎮まる神であるがゆえに、静けさと激しさの両面を持っていたのだ。

 普段は石に鎮まっているこの神は、時を超えて動かず変わらず、ただ存在し続ける。自然の摂理のある部分そのものを神と認識した姿がミシャグジ神だ。中央に組み込まれることなく、土地に根ざし続けたその在り方は、代表的な「まつろわぬ神」と言えるだろう。

守矢神・千鹿頭神とのつながり

 洩矢神(守矢神)は諏訪地方で1500年に渡る歴史を持つ守矢氏の祖神だ。千鹿頭神(ちかとのかみ、ちかとうのかみ)はその孫とされる神で、諏訪から宇良古山に追い払われたという。守矢氏は代々「唯一ミシャグジを扱える人物」とされ、諏訪上社の祭祀においては建御名方神の後裔もしくは御正体とされる大祝とともに祭祀を担っていた。ミシャグジと守矢氏系統の神とは、「祀られる自然霊の神ミシャグジ」「祀る人間たちの神」という関係性だったのだ。

 茅野市にある守矢神長官史料館ではかつての神事が再現され、壁に掛けられた25頭の鹿とイノシシの首、まな板の上に置かれた「耳裂けの鹿」や串刺しにされたウサギが展示されている。あからさまに「気味が悪い」などと言う人間が来たら、彼らは険しい表情になる。何度も訪れれば、彼らの顔は友達を迎えるような顔に変わっていく。彼らは激しい二面性を持つミシャグジへの祈りとともに昇華された命であり、ミシャグジという神に取り込まれて神になった。であれば、彼らもまた激しい二面性を宿しているのは当然のことだ。

建御名方神と二種類の「国譲り」

 日本書紀や古事記では、建御名方神は武甕槌神もしくは建御雷神に敗れて信濃へ逃れたとされる。多くの歴史書で建御名方神は敗者として描かれている。

 だが諏訪地方の伝承では、登場人物がある意味で逆なのだ。負けたのは土着の洩矢神で、外から来た建御名方神に国を譲ったとされる。さらに、千鹿頭神は追い払われたわけではなく、狩猟の功績で名を上げて宇良古山へ移った―大人として独立したということだろう―とされている。

 諏訪地方の伝承を見ると、中央からの圧力がかかりながらも、諏訪の人々はその精神文化を守り続けてきたことがわかる。洩矢神系譜の神々が今でも信仰されているのは、諏訪の人々が誇りを捨てなかった証だろう。「国譲り」によって文化的・精神的な融合が進んだ結果、現在の諏訪になったのだ。

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