幻想的な川

幽霊はなぜ濡れているのか 境界を区切る「水」

 お風呂で髪を洗っているとき、背後が気になって振り返ったことはありますか?鏡にぼんやり何かが映ったように見えてぎょっとしたこともあるのではないでしょうか。

 浴室のくぐもった音と肌にまとわりつく湿気の中にいると、意識がふわっとしていきます。湯気の立ちのぼった空間では、文字通り目の前の現実が揺らいで見えます。

 学校のトイレやプール、海辺、川― こうした水場は数々の怪談の舞台になってきました。蒸し暑い空気、濡れた足跡、雨の夜にだけ現れる黒い影… 日本人の無意識の中には、水の記憶が深く根づいているのかもしれません。バブル期のタクシーにまつわる怪談では、「墓地の横で女を乗せたが消えてしまい、シートが濡れていた」というものもありました。日本の幽霊と水は切っても切れない結びつきがありますが、幽霊はなぜ”濡れて”いるのでしょうか。

水という境界

 伝統的に日本では水を「境界」として扱ってきました。井戸から異界に降りて閻魔大王の手伝いをしていたという小野篁のエピソード、海を“魂の帰る道”とみなす信仰。修験道が盛んな熊野や出羽では祭祀の前に降る雨は「神が降りてくる兆し」ですし、盆入りの日の雨は「ご先祖が家へ戻ってきた」と考える地域も多々あります。

 水気の多い場所には、現実の密度が緩む感覚があります。人は理屈より先に感覚で「何かがいる」と感じるのでしょう。

神を祀る水、穢れを流す水

 出羽三山の湯殿山については長らく口外してはいけないとされてきましたが、御神体の先には瀬織津姫が祀られています。祓いの女神である瀬織津姫は、水の流れに穢れを乗せて流します。

 遠く離れたアンデス高地に住むインカのシャーマンにも、ママ・コチャという水に住む大蛇に祈る系譜があります。瀬織津姫と同じように、ママ・コチャもまた人間の重いエネルギーを流してくれます。世界の反対同士でも同じような信仰形態なのは興味深いですよね。

濡れることで増す存在感

 髪や服が濡れたままで平然としている姿は、生きている人間らしさが薄く見えるものです。日常を送っている人間らしい気配が弱くなると言うか…。日本のホラー映画で濡れた髪の幽霊が多いのは、それだけで「こちら側にいない」という目印になるからではないでしょうか。

 深夜のコンビニ前の一点だけ濡れた舗道、雨が降っていないのに残る濡れた足跡。理由が説明できなくても、身体が先に「おかしい」と判断します。団地の非常階段でも、トンネルでも、細い廊下でも、気配のある場所は湿っています。空気が重くまとわりつき、足音が吸われ、壁の色が暗く見える――湿気は境界を開きやすい。だから日本の怪談は今も水を手放さないのでしょう。

関連記事一覧