玉城城

神は「在る」 アマミキヨに見る戦わない世界の女神たち

本土に見られる循環の女神たち

 アマミキヨたちが作ったような「循環の仕組み」は本土にも見られる。例えば大祓詞に名を残す瀬織津姫は「穢れを川に流し、滞りを循環の中に再び戻す神」として祀られた。謎の女神としてスピリチュアルでは商標登録などということまで起きた女神だが、別に封印され忘れられていたわけではない。多くの神社の一番手前にある祓戸社で祀られる四柱のうちの一柱は瀬織津姫だ。沖縄では龍神が祀られた祠が地域ごとにある勢いだが、瀬織津姫は龍神の系譜と言われている。

 山形では「山姥=白山権現の化身」という口承が残っている地域もあり、瀬織津姫は山姥や奪衣婆と同一視されることがある。奪衣婆は現世の汚れを祓うために衣服を剥ぎ取るが、それは新しい世界に入るために必要な儀式だ。湯殿山神社ではご神体の上奥・滝が見える位置に祀られていて、参籠所に宿泊すると瀬織津姫と同一視されることも多い丹生都日女神の御神湯に入ることができる。薄暗い灯の下で神棚を前にして素っ裸でお湯に浸かっていると、何とも言えず「祓われている」という感覚になる。

 そして黄泉比良坂でイザナギとイザナミの争いを仲裁した菊理姫。菊理姫は日本書紀に「一言申し上げて去った」と記されているが、何と言ったかは伝えられていない。彼女は仲裁に当たって苦労したわけではなく、白山信仰において「結びの神」となった。瀬織津が流し、菊理が結ぶ。境界神・水神・龍神・調停神という性質を持つ女神たちによるこの循環は、アマミキヨの仕組みと共通しているのではないかと思う。

戦わない世界の設計

 アマミキヨが場を作り、瀬織津が滞りを祓って流れをスムースにし、菊理が離れたものを結ぶ。かつてヤマトではなかった琉球の神とおそらくは古い女神たちは戦わずに世界を動かす。沖縄の御嶽は自然の中にあり、風や石や草が語りかけてくるようだ。神はただそこに在り、神社で行うように対象を探して祈ろうとしても見つからないだろう。

 分裂の流れをできるだけ遡ろうとしたら、記紀に描かれた以前の世界を辿っていくのは自然なことだ。神はただそこに在る。祈って呼び寄せるのではなく、初めから世界の一部として存在している。御嶽や磐座は、そんな人間の在り方と神の遍在を思い出すための場所だ。古い神々の「戦わない世界」は過去に埋もれさせるようなものではなく、声高に主張せず静かに続いてきた「現在でも生きている現実」だと実感している。そして、この世界観を取り戻したとき人間は分断の中で生きなくてもよくなると信じている。

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