Three apparations of the visage of Gala by Salvador Dali

「私を殺して」と言った女 サルバドール・ダリとガラ・エリュアール 増補版

境界の芸術家たちシリーズ

止まらない笑い

 1929年8月、スペインの海辺の町カダケスに、パリからやってきた一行がいた。詩人ポール・エリュアールと妻のガラ、画家ルネ・マグリット夫妻、そしてベルギーの画商カミーユ・ゴーマンだ。11月の個展に向けて作品を仕上げられるかどうか、若きスペイン人画家サルバドール・ダリの様子を心配して訪ねてきたのだ。

 サルバドール・ダリ、25歳。彼は客を迎えるためにとんでもない格好をしていた。シルクのシャツを引き裂き、脇毛を剃って青く色をつける。山羊の糞と魚の膠とラベンダーを混ぜて身体に塗り、耳にはゼラニウムの花を挿していた。だが実際に一行がやって来ると彼は走って着替えに行き、ほぼ普通の出で立ちで再び姿を現した。

 そして、ガラを見た瞬間-ダリは笑い出した。笑いはいつまでたっても止まらず、ヒステリー性の発作のように制御できない笑いが何時間も続いた。客たちは「この若者は狂っているのではないか」と困惑し、パリでの個展は不可能ではないかと危惧する。だが、ガラだけはダリの奇行に動じることがなかった。

「私を殺して」

 二人はカダケスの険しい断崖の上を、9月の終わりまで毎日歩いた。ダリの笑いは少しずつ収まっていった。ある日ダリは尋ねた。「君は僕に何を望んでいるの?」-ガラは答えた。「私を殺して」と。

 この言葉がダリを「治した」と後にダリは言っている。笑いの発作が止まり、ガラのために絵を描き始める。「彼女は私のグラディーヴァ-前に進む女、私の勝利、私の妻-になる運命だった」。ガラは10歳年上で夫と娘がいた。だが夫のエリュアールがパリに帰った後も、ガラはカダケスに残った。

追放

 ダリの父は激怒した。息子が年上の人妻と暮らすこと、そしてシュルレアリストたちがもたらす「不道徳な」影響を許せなかったのだ。決定打となったのはパリで展示した作品だった。『聖なる心臓』というドローイングには、「時々、私は楽しみのために母の肖像に唾を吐く」という言葉があった。

 母は8年前に亡くなっていて、父にとっては許せない侮辱だった。1929年12月28日、ダリは実家から暴力的に追い出される。勘当されたダリはカダケスに二度と足を踏み入れるなと言い渡された。ダリはパリに発つ前に髪を剃り、その髪をカダケスの浜辺に埋めた。

 次の年の夏、ダリとガラは近くの港町ポルト・リガトで漁師の小屋を借りた。電気も水道も暖房もなかったがガラはパリの豪華なアパートを捨て、傷んだ果物を市場で値切りながらダリを支え始める。

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