
『古代エジプトとバビロニアの信仰』第二章 古代エジプトの信仰 2-2
※著作権の切れた書籍を翻訳・意訳して掲載しています。『The Religions of Ancient Egypt and Babylonia』Archibald Henry Sayce 翻訳した文章©StellaCircus
『古代エジプトとバビロニアの信仰』第一章 1-1 1-2 1-3 1-4 1-5 1-6 第二章 2-1
先史時代、少なくとも一つの民族は二次埋葬を行っていたと考えられている。彼らの墓からは、頭や手足、背骨まで切り離されたり、骨格全体がばらばらにされたりした骨が見つかった。それでも遺骨はていねいに扱われ、並べて置かれていた。人肉食の痕跡はなく、動物にかじられた形跡もごくわずかだった。鳥や猛獣によって肉が剥がされるまで死体を埋葬せずに放置し、肉が剥がれてから太陽に晒された骨を墓に納めていたようだ。こうした習慣は今でも世界の一部の地域で行われていて、ニューギニアでは肉が完全に破壊されるまで死体を木の枝の間に放置する習慣が今も残っている。
ミイラ化と二次埋葬は、共存しえない考え方に基づいている。ミイラ化では肉が腐らないようにあらゆる努力が払われるが、二次埋葬では死体は砂漠の獣や空の鳥に向けて投げ込まれ、骨格すら分解されるにまかせる。後者の人々は、肉体の永続よりも、霧や影のように目に見えない魂の存在を信じていたのだろう。死後に生き残るのは夢の中や夜の森で見られる霧のような幽霊であって、死体自体は大地に戻るものだった。
こうした信仰は、のちのエジプト宗教にも影響を与えた。「バー」と呼ばれる鳥の姿をした魂の概念は、その名残だ。「バー」はミイラとは完全に調和しない。「魂が空を飛び立つ」という考えと、「ミイラの体に魂が宿り続ける」という信仰との間には、埋めがたい矛盾が残る。宗教制度はその矛盾を解決しようとせず、両方の考えを並べてそれぞれの人間の信仰に委ねる形をとった。
エジプトの信仰は最後まで哲学的体系を持たなかった。古い信仰や習慣がゆるやかに集められた集合体で、それらを一つに統合しようとはされなかった。エジプト人はそれぞれの信仰に矛盾があっても気にせず、深く掘り下げることもなかったのだ。その結果、信仰の根底にある思想を解き明かすという課題は、現代の私たちに残されている。
エジプト人は哲学者ではなかったが、過去への敬意は深かった。気候のおかげもあって他の国なら失われただろうものが保存され、古いものと新しいものが共存していた。ナイル川の安定した季節の流れもまた、彼らの保守的な精神を育んだ。古いものを新しいものに置き換えるのではなく、隣にそっと並ぶ形で受け入れられていった。
この特徴はエジプトの文字体系(ヒエログリフ)にも表れている。象形文字、音節文字、アルファベット的表記が一つの体系に共存していて、たとえ非効率でも古い形式は捨てられなかった。宗教も同様で、異なる時代・背景を持つ信仰が共存し、矛盾があっても排除されなかった。エジプトの宗教は、始まりから終わりまで、多様な声を内に抱えたまま続いていたのだ。

