古代エジプトの混沌から考える 今後の日本
見よ、何の財産もなかったものが(今では)富の所有者だ。
見よ、土地をわずかしかもたなかったものが富豪となり、財産家が無産者となっている。
見よ、いかなる官職もその正しい場所にない。牧人もなくやみくもに走り回る家畜の群れのようだ。
(筑摩書房・筑摩世界文学大系1 古代オリエント集より)
など、『イプエルの訓戒』では「見よ、○○が~だ」という対比で社会が逆転したことをこれでもかと(日本語訳で50文以上!)描いています。これに対して、民の安心・安全と幸せな生活を願った部分もあります。
ほんとうにすばらしいことだ。道が(安全に)通れるようになるならば。
ほんとうにすばらしいことだ。人びとが酔い、ミイトを飲み、幸せであるならば。
ほんとうにすばらしいことだ。すべてのものの要求は日陰で横になることで満足され、かつて茂みで眠ったものにはドアが閉じられるならば。
パピルスの欠損によって最後の部分がわかりませんが、わかっている最後の部分は「イプエルが万物の主である陛下に伝えたこと」です。欠損している部分は「万物の主」の返答、または秩序を回復する強力な王の到来を予言した内容だと考えられています。また、ミイトはどんな飲み物だったのかわかっていません。
私たちが直面している不安や混乱も、いつか歴史の一ページとなるのでしょう。イプエルが願った「人々が安心して酔い、眠り、歩くことができる社会」は、私たち自身の善性によって作られていくのかもしれません。『イプエルの訓戒』に出てくる人たちのように傲慢にならず、自己中心的に人を傷つけないこと。ひいてはお互いを尊重することで、安心して暮らせる社会ができるのではないでしょうか。
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