細川ガラシャ

霊性に準じた女 細川ガラシャ

人形のような夫婦から鬼と蛇の夫婦へ

 忠興はほかの男がガラシャの顔を見ることすらいやがったと言われています。一人の庭師がガラシャに見とれたと言って怒り狂い、首を刎ねてしまったという話があります(※家臣という説も)。この時刀の血をガラシャの着物で拭いた、その首をガラシャの横に置いたなどと言われていますが、顔色一つ変えない彼女に対して忠興は「お前は蛇のような女だな」と言ったという話が残っています。ガラシャは「鬼の妻には蛇がお似合いでしょう」と答えたと言い、いかに胆の座った女性だったかが伺えます。

 豊臣秀吉が大名の妻たちを狙った「女房狩り」に対抗してか、忠興はガラシャの部屋の四隅に火薬をぶら下げていたと言います。朝鮮出兵の際には「靡くなよわがひめ垣の女郎花男山より風は吹くとも(自分の小さな垣根の中にいる女郎花=ガラシャよ、男に言い寄られてもなびくなよ)」という和歌を送り、「なびくまじわがませ垣のおみなえし男山より風は吹くとも(意訳:なびかねえよ)」と返されています。

 忠興は棄教を迫る中で「じゃあ側室を五人持つぞ」などと脅したとも言われますが、愛情のアンバランスがなかなかどうして、という感じです。

細川ガラシャの最期

 そんなガラシャの最期は、殉教とも言える壮絶なものでした。キリスト教の教えに従って離婚を諦め、「夫にはキリストのように仕えよ」の言葉を守ったのです。忠興は家を留守にする際「妻の名誉に危険が生じたら、妻を殺して全員切腹して一緒に死ぬように」と家臣たちに命じていました。

 関ヶ原の戦いで敵方の石田三成に人質になるよう求められたガラシャはこれを拒絶。彼女は「夫の言いつけ通り死にます」と言って侍女たちを逃がし、家臣の小笠原秀清の介錯を受けます。秀清はガラシャの遺体が残らないよう屋敷に爆薬を仕掛け、火を点けたのちに自刃しました。三成はガラシャの死の壮絶さを知り、このあと妻子を人質にとる作戦を拡大させるのをやめたといいます。

 このときに詠んだ辞世の句は「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」、花は散るときを知っているからこそ美しい、人も同じだというものでした。ガラシャの死を知った忠興は、あれほど捨てるよう迫っていたキリスト教での教会葬を行いました。ちなみにガラシャの最期の日、屋敷から逃げ出した長男の嫁、前田利家の娘千世は忠興の怒りを買い、離縁しなかったことで長男を廃嫡しています。

ガラシャの生涯から

 細川ガラシャの生きざまを見ると、困難にあっても信念を貫き、信仰や内面の強さで自分自身を支えていたことが伺えます。混乱の時代にある私たちにとっても、逆境に立ち向かう強さを保つヒントになるのではないでしょうか。社会や人間関係に疲れたとき、自分の内側にある平和を求めようと思う人もいるでしょう。潔くありたいと感じる人、信念を貫くことを思い浮かべる人もいるかもしれません。

 彼女の人生は単に歴史というだけではなく、「内側の平和を保ち、自分らしくあるためにどうすればいいか」という霊的な問いを含んでいるのではないでしょうか。

 

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