聞いている女性

「聞く」と「見る」 二元性を超えた感覚のシフト

 ヒーリングやリーディングの世界では、視覚的なイメージやビジョンを「見る」ことが重視されがちです。視覚的にリーディングできる人は「観える人」でなんとなくすごい、でも感覚的にリーディングする人は「勘が鋭い」の延長線上にあるように感じる方は多いのではないでしょうか。

 ですが、実際にこの二つの方法論は全く異なった世界観の上に成り立っています。そして「視覚的なリーディングしかできない」状態では次元を超えることはできません。今回は、なぜ「聞く」ことが二元性を超える鍵になるのかを掘り下げていきたいと思います。

見る ─ 見られる対象は「私ではない」

 多くのスピリチュアルな方法論、リーディングは霊的な視覚を重要視しています。頭の中に鮮やかなイメージが浮かぶ、シンボルが見える、過去世の映像が見える… 視覚的な経験は強烈な上にわかりやすいので、視覚的なリーディングができることが霊的能力の高さのように扱われることがあります。ですが、視覚を使ったリーディングには構造的な限界があります。

  • 観察者と対象が二分される 「見る」には見る対象が必要で、「見る私」と「見られるもの」が切り離されている
  • 分析が前提になる 見えたものを思考で解釈し、因果やパターンを見極めて意味づけする必要がある
  • 直線的な時間感覚 時間軸を基準に映像や物語を見るため、過去・未来・現在が切り離されている

 これは現代科学や哲学が得意とする方法論だと言えます。自分は観察者となり、順序立てて整理し、パターンを抽出すること。そしてそれをわかりやすく説明するという流れです。リーディングにおいてエゴはフィルターとなる(例えば結婚にトラウマがある人が同じような状況のクライアントのリーディングを正確にできるかなど)ため、リーディングの能力はその人個人のキャラクター(=エゴ)に左右されます。※エゴは決して悪いものではなく、その人の個性を表すものでもあります

 「見る」リーディングはある一定の領域に関してはとても便利ですが、「自分」というエゴがあるため二元性を超えることができません。むしろ「観察する側である私」というエゴを強めてしまうことがあります。スピリチュアルのコミュニティにおいて、これは盲信する・させるという結果に繋がる危険なエゴではないでしょうか。

聞く ─ 世界に溶け込む

 「聞く」という行為には、英語で言うlistenとhearがあります。何かに注意を向けて聞こうとするlistenの場合は対象があるため「見る」と変わりませんが、hear、聞こえる音に耳を澄ませるのは対象のない「広がり」です。文字通り、耳で遠くの音まで聴こうとしているうちに意識は広がっていき、やがて「一」になります。

  • 自己と世界の同一化 対象と自分の間に境界がなく、「全て」の一部もしくは自分が「全て」になる
  • 時間・空間に縛られない 時間や空間を超えた情報が同時にわかる
  • 全身的な反応 すべての感覚が研ぎ澄まされ、言語化しなくても情報を理解できる

 「聞く私」が消え、世界そのもの=「さっきまで私だったもの」が聞いている状態になるので、外部から情報が来る・取るというより「情報場になっている自分」だからわかる、という感覚です。

 古代からシャーマンたちがそう在ったように、境界を超えて世界-森や風、スピリットなどあらゆる存在の声に耳を傾け、感じ取ります。自分と場の境界、時間や距離の制限が薄れるので、時間軸に縛られることなく情報が一斉に溢れ出してくる状態になります。言葉にする前に「わかる」のが「聞く」方法論になります。

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