オーパーツ大好き!浮世絵に描かれたスカイツリー
本日は浮世絵に描かれたスカイツリーをご紹介したいと思います。こちらはスカイツリーが建設された2011年ごろから話題になったものなのでご存じの方も多いかも知れません。題名を見て思い出した方もいらっしゃるかも知れませんね。
スカイツリーが描かれているんじゃないか?と話題になった浮世絵は”歌川国芳(うたがわくによし)”の”東都三ツ股の図”と題名がついている浮世絵です。読み方は”とうとみつまたのず”。東都は江戸、今の東京のことを指しており、三ツ股は隅田川が分岐をする中州をモチーフにして描かれています。
手前には船大工が船底に細工をしているところ、遠景には佃島や永代橋などがあり、当時の街並みや日常風景を描いたものとされています。船を焼いているように見えますが、これは船底を炙って木材を腐りにくくする手法です。家の外壁や塀などでも焼杉と言われるものがありまして、見た目は真っ黒で焼けてしまったようにも見える板を使っていたりする家を見たことはありませんか?それと同じ手法が江戸時代、船を作る際にも使われていたことがわかる貴重な絵だとも言えますね。
この歌川国芳についても少し説明をしていきますね。浮世絵と言えばパッと思い浮かぶのは葛飾北斎や歌川広重なんじゃないかなと思いますが、国芳も同時期に活躍したとても才能がある浮世絵師です。特に武者絵、武士や歴史上の人物を壮大に描いた作品が有名ですが、最近流行ったものでは妖怪や幽霊を題材にした妖怪画の方が馴染み深いでしょうか。大きなドクロが描かれたものですね。
あれは”相馬の古内裏”と言う題名の大きな錦絵で、平将門の子供の滝夜叉姫が巻物を使って大きな骸骨を呼び出して、源頼信の家臣たちと戦うシーンがダイナミックに描かれています。”がしゃどくろ”と言う妖怪を描いたなんて言われたりもしますが、がしゃどくろと言われる妖怪が出てきたのは近年のことで、国芳の絵を見たのちの作家さんたちが創作した妖怪なのです。
話を”東都三ツ股の図”に戻しますと、手前の船大工たちから川を挟んだ向こう岸を見ると右側に永代橋。左手には二本の高い塔があり、その左手には萬年橋と見られる橋が描かれています。この永代橋も萬年橋も現存する橋で、どこからどう描いたのかを割り出すことが出来るのですが、現代の風景や場所などを当てはめるとスカイツリーの位置とは大分ズレてしまうようです。
この二本の塔の左にある低い塔は火の見櫓だと言われています。形からするとそうなのでしょう。こちらは10mほどだったと資料も残されています。右の塔はその火の見櫓の2倍ほどの高さをしているので単純に考えれば20mほどの塔だと。こちらは井戸を掘るために建てた櫓だと言われています。当時、このような高い建物は火の見櫓か井戸掘り用の櫓しかなかったそうで、これはスカイツリーではないと言う説が主流です。
しかし、それでは夢もロマンもあったもんじゃありませんよね!パッと見なんてほんとにスカイツリーが描いてある!としか思えない景色ですし。
スカイツリーそのものを描いたとは思っていませんが、それに近しい何かを国芳のインスピレーションが受け取って、そこに塔状のものを描いたのではないかと。私はそう思います。方角も正確な位置を割り出すのは困難ですよね。あの辺りは埋め立ても進んでいるし、佃島から描いたとすると永代橋と萬年橋がこんなに綺麗に見えるロケーションは無いので、そもそもの前提が違うんですよね。佃島ではなくて箱崎ジャンクション辺りからならまぁ話しはわかる。
だとすると永代橋の向こうに見えるのはお台場なのでは…。などと新しいオカルトも出来てしまいますが、恐らくは見えるものをモチーフにしてわかりやすく見やすいダイナミックな構図を作って描いたのではないかと思うわけです。そこに火の見櫓があったのかもしれないし、井戸掘り用の櫓が見えたのかも知れないし、誇張して描いてやろっかなーとかこんなんあったら面白いなーとか国芳なりの遊び心を加えたのがこの”東都三ツ股の図”なんじゃないかなと。
その遊び心が実は未来を予知してしまったのか何かしらのインスピレーションを受け取ってしまったのか。不思議なシンクロをしてしまったのではないかなと個人的には考えています。そんな話がこち亀にもあったような…。両さんが幼稚園の頃に描いた絵が未来に実際に起きる現象だったみたいな。あるんです。そういうことも。
これも秋本治先生と国芳の不思議なシンクロなのかも知れませんし!ただのこじつけで片づけてしまうのは簡単ですが、夢とロマンを持ってみることも楽しいですよ!
それでは、オーパーツからは少しずれてしまったかも知れませんが今回はこの辺で。