インダス文字ってどんな文字? 四大文明なのに解読できない「沈黙の文字」
世界四大文明として知られるメソポタミア、古代エジプト、中国、そしてインダス文明。それぞれの地域で文字が使われていて、そのうち3つの文字―楔形文字、ヒエログリフ、甲骨文字は私たち現代人でも読むことができる。残されたインダス文明の文字だけが今でも謎のままだ。
インダス文明は紀元前2600年から紀元前1900年頃、現在のパキスタンからインド北西部にかけて栄えた巨大文明だ。モヘンジョダロやハラッパーなどの計画都市を築いた人々は、何を書き記していたのだろうか。
インダス文明と印章(スタンプ)
インダス文明はインダス川流域に栄えた青銅器時代の都市文明で、最盛期には100万人から500万人もの人々が暮らしていたと推測されている。その都市計画には目を見張るものがあり、モヘンジョダロには碁盤目状の街路や公共浴場、下水道までが整備されていた。同じ時代のメソポタミアやエジプトと比べても群を抜いたインフラだ。
インダス文明が残した文字資料の大部分は「印章」、スタンプだ。滑石(ステアタイト)を彫った小さな四角い印章で、動物と短い文字列が刻まれている。一角獣のような動物、瘤のある牛、象、虎などが特徴的だ。約4,000点以上の印章が発見されているが、文字(記号)の総数は推定で約4万〜5万字程度と推定されている。
文字の特徴
インダス文字は約400〜600種類とされるが、数字に幅があるのは研究者によってカウント方法が異なるからだ。文字を書く方向は主に右から左と考えられているが、これは行の後ろになると記号が詰まって小さくなる傾向があることが理由となっている。
テキストは極端に短く、1つの印章に刻まれた文字は平均で5文字程度、最長でも約26文字しかない。この短さが、解読を困難にしている最大の原因だ。
なぜ解読できないのか
インダス文字が解読できない理由は主に3つある。
1. テキストが短すぎる
平均5文字では統計的なパターン分析ができいない。他の文字体系を解読したときは、違う文の中で繰り返し同じ単語が現れることがヒントになった。だがインダス文字ではパターンを見つけられる量のテキスト自体がない。
2. バイリンガル資料がない
エジプトのロゼッタ・ストーンはヒエログリフ(神聖文字)とデモティック(民衆文字)、ギリシア文字の3種類の文字で同じ内容が書かれていた。だがインダス文字には対訳資料が存在しない。メソポタミアとは交易を行っていたが、両方の言語で書かれた文書は今のところ見つかっていない。
3. 言語のバックグラウンドが不明
線文字Aと同じ問題で、記号の音価を仮に推定できたとしても意味が理解できない。インダスで使われていた言語が何語だったかについては下のような仮説があるが、現時点ではドラヴィダ語族説がやや有力という程度で決定的な決め手に欠ける。
- ドラヴィダ語族 現在の南インドで話されているタミル語などの祖先
- インド・アーリア語の先駆 のちのサンスクリット語につながる言語
- 孤立言語 現存するどの言語とも無関係
「そもそも文字なのか」という論争
2004年、ハーバード大学のスティーブ・ファーマーの研究チームが「インダス記号は文字ではない」と発表した。その主張は以下のようなものだ。
- テキストが短すぎて、言語を表記する「文字」とは考えにくい
- ほかの文明には必ずある「長い碑文」が一切ないのは不自然
- 宗教的・政治的シンボルや紋章の類ではないか
これは研究者の間で激しい論争となったが、反論側は次のように主張する。
- 記号の組み合わせには規則性があり、ランダムではない
- 記号数(400〜600)は、表語文字としては妥当な範囲
- 長い文書がないのは、パピルスや木簡のような消えやすい媒体に書かれていたからでは
論争は現在も決着していないが、多くの研究者はその後もインダス記号を「文字」として扱っている。
主要仮説の整理
| 仮説 | 内容 | 根拠 | 問題点 |
|---|---|---|---|
| ドラヴィダ語説 | 原ドラヴィダ語を表記した | 語順・接尾辞パターンが類似 | 確証がない |
| インド・アーリア語説 | サンスクリット系言語の祖先 | 地理的・時代的な連続性 | アーリア人到来時期と矛盾? |
| 非文字説 | 文字ではなく記号 | テキストが短すぎる | 規則性が説明できない |
| 混合説 | 複数の言語・用途が混在 | 使われ方がさまざま | 分析がさらに複雑に |
発見と研究の歴史
実はインダス文明の発見自体が比較的最近の歴史だ。イギリス統治下のインドで鉄道建設を進める中で、労働者たちがハラッパー遺跡の煉瓦を資材として持ち出していることが発覚した。そこから考古学者ジョン・マーシャルらによる本格的な発掘が始まったのは1921年になる。
そこから100年以上が経過したが、解読への道のりは遠い。1930年代から現在まで、いくつもの「解読」が発表されてきた。だがそれも学術的に認められるまでに至らず、ほとんどは特定の言語(ドラヴィダ語やサンスクリット語)を前提として記号を当てはめただけの内容だった。
インダス文字の現在 失われた声を求めて
インダス文字の解読には、いわゆる「運」が必要になるかもしれない。長い碑文やバイリンガル文書などが出土しない限り、おそらく突破口は開けないだろう。発掘調査は現在も続いている。パキスタンとインドの政治的緊張が調査を難しくしているが、新たな遺跡が発見される可能性はゼロではない。
インダス文明は、文字が読めないことで「沈黙の文明」と言われることがある。王の名前、神の名前、法律も人々の物語も、何もかもが不明のままだ。整然とした都市計画と精緻な工芸品だけが残され、そこにいたはずの人々は沈黙し続けている。
その沈黙が破られる日は来るのだろうか。
参考資料・リンク
- Parpola, A. (1994) “Deciphering the Indus Script” Cambridge University Press
- Farmer, S., Sproat, R. & Witzel, M. (2004) “The Collapse of the Indus-Script Thesis”
- Harappa Archaeological Research Project https://www.harappa.com/
- Corpus of Indus Seals and Inscriptions (CISI)