死して神となる動物たち 熊や鹿という贄
【イオマンテの哲学】
アイヌのイオマンテ、熊送りの儀礼は熊の死を伴います。大切に育てた小熊を旧暦の10月に殺し、熊の霊を神の国(親元)に返す儀式です。アイヌの人々は地上の生き物を「神々の地上界での姿」と認識していたと言います。コタンで育てられる小熊は神からの預かり物、神の子供でした。つまりは預かった子供に土産を持たせ、アイヌの儀礼で親の元に戻したのです。
人間が親を失った小熊を大切に育てることで、小熊の姿をした神は人間に感謝します。そして人間は成長した熊から肉や皮や胆嚢などを取り、神がそれを与えてくれたことに感謝するのです。ここにあるのは「お互いに助け合う世界」、ポジティブでもネガティブでもない因果応報の世界です。
※萱野茂二風谷アイヌ資料館などで詳しい資料が展示されています。
【神としての熊、神になった鹿】
初めて守矢神長官史料館に行ったとき、俎板に乗せられた耳裂けの鹿は言いました。「ぼく、神さまになったんだよ」と。帰りに寄ったスーパーで鹿肉を見つけ、ジビエは苦手なのに謎の義務感で購入して食べました。
諏訪大社には「鹿食免」という鹿や猪を食べてもいいというお札があります。「肉を食べてもいい」という許可証は、一般的な神道の神社では考えられません。元々祀られてきた狩猟神である漏矢神やミシャクジ神の影響が続いてきたのでしょう。
神の矛にかかって人間に与えられた鹿。たくさんの肉や皮を被って熊として人間の前にやってきた熊。世界のシャーマンたちが「スピリット・アニマル、トーテム」を大切に考えるのと似た感覚なのだと思います。不必要に害するのではなく、必要があったらそうする。そして命を奪うなら最大限の敬意を払う。
私たちの多くは牛や豚や鶏、その他の肉を食べています。スーパーに並んだパックに詰められる前、その肉はどんな過程を経てきたのでしょう。彼らは生きていました。グロテスクなのは感謝もなく「肉」としか認識していない私たちなのではないでしょうか。