古代エジプトとバビロニアの信仰 第二章 2-4

『古代エジプトとバビロニアの信仰』第二章 古代エジプトの信仰 2-4

※著作権の切れた書籍を翻訳・意訳して掲載しています。『The Religions of Ancient Egypt and Babylonia』Archibald Henry Sayce 翻訳した文章©StellaCircus

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 エジプト人は、一般的に言えば抽象的な思考があまり得意ではなく、むしろそれを避ける傾向があった。ただし、これは神殿の聖職者や高い教養を受けた神官たちには必ずしも当てはまっていない。とはいえ、そうした教養ある人々でさえ、思考の手段として象徴に頼る傾向は変わらなかった。例えば「形なき神」という表現は、一見すると抽象的に思えるかもしれないが、実のところは「形のないものを想像できない」という認識の現れにすぎない。

 第18王朝以降、神は「自ら成長するもの」や「自存するもの」という言葉(Kheper zes-ef)で表されるようになった。だがこの表現は、鉱石や植物に対するのと同じように、神というものを「外から何かが加わらなくても自然に生じる存在」として捉えているだけで、現代的な意味での抽象性は見られない。

 同様に、神が「初めから存在している(kheper em hat)」や「始まりの父」と表現されるときも、それは見かけほど抽象的な意味ではなく、「存在(kheper)」が目に見える世界を、「始まり(hat)」が“後ろの端”を意味しており、どちらも視覚的な発想に基づいている。

 古代エジプト人がたどり着いた神の概念として最も抽象的だったのは「名もなきもの」だったかもしれない。彼らにとっては、名前とはそれ自体が存在の本質を示す非常に具体的なものだったからだ。したがって「名がない」とは、存在を否定するか、現実の世界から完全に切り離されたものと見なすことに等しかったのである。

 だが、古代エジプトの歴史の中で、神々に向けられた一見抽象的な言葉に真の意味を持たせようとする試みが行われた時期があった。第18王朝の終わり頃…アクエンアテンが宗教改革者として登場したときである。

 アクエンアテンは至高の神を「唯一無二の神」として表現しようとした。永遠の昔から存在し、人間には見えない宇宙の絶対的支配者としての神だ。だが、この宗教改革のきっかけはアジアに由来していて、アクエンアテンの母は外国人だった。彼の改革は父の信仰をアジアの信仰と置き換えようとするものだったが、結果として失敗に終わった。

 太陽円盤を可視的な象徴とする唯一神の信仰は、ファラオ自身の権力と人々への迫害という強制的なものだったにもかかわらず、その死後にはほとんど残らなかった。テーベのアメン神とその神官たちが勝利し、アクエンアテンの汎神論的一神教は復活することがなかったのだ。

 象徴主義は依然として残ったが、その足場となった抽象的思考は古代エジプトの信仰に根を下ろすことはなかった。古代エジプト人は、彼らの祖先たちと同じように、象徴に満足し続けた。しかし、神官や上流階級といった教養ある人々の間では、象徴は次第に物質的な意味を薄め、象徴の奥にある「神の真実の姿」、あるいは神がまとう外衣のようなものとして理解されるようになった。

 とはいえ、古代エジプト人にとっては外見と内なる本質は切り離すことができないものと考えられていた。彫像の表面がそれを形作る石から切り離せないように、神の象徴と神の本質も分けることができなかったのである。

 やがて教養あるエジプト人は、公的に崇拝される多くの神々を「一つの神性の異なる顕現や形態である」と理解するようになった。だがそれらの形態は視覚的な顕現であって、視覚的な形でしか神性は存在し得ないと考えられていた。

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