大ホルス エドフ

『古代エジプトとバビロニアの信仰』第四章 太陽神とエネアド 4-1

※著作権の切れた書籍を翻訳・意訳して掲載しています。『The Religions of Ancient Egypt and Babylonia』Archibald Henry Sayce 翻訳した文章©StellaCircus

『古代エジプトとバビロニアの信仰』第一章  1-1 1-2 1-3 1-4 1-5 1-6 第二章 2-1 2-2 2-3 2-4 2-5 第三章 3-1 3-2 3-3 3-4

 前回の講義でエジプト人が人間の魂をどう描いたか、太陽神を象徴する鷹として表されることがよくあったと説明した。なぜ鷹が太陽を象徴するようになったのかはわかっていない。エジプト人自身も理由を知っていたわけではなく、ポルフュリオス(※ローマの新プラトン学派の哲学者)は古代エジプト信仰の終わりが近い時代になっても、「血と息の合成物だから」太陽を象徴するのだと真面目に述べている。鷹は空から太陽の光線のように降下し、瞬きをせずに太陽を見られるからだという説もある。ホメロスの『オデュッセイア』第15巻525行で、鷹が「アポロンの素早き使者」と呼ばれていることがその根拠とされている。だが、もしホメロスの一節とエジプトの象徴が関係していたとしても、それはギリシャの詩人がエジプトの象徴を借りたというだけだ。そもそもエジプト人自身が鷹の姿で表したのは、上エジプトの太陽神だけだった。

 この神ホルスは、後の文献で「年長のホルス(Hor-ur、ギリシャ語ではAroêris)」と呼ばれる。これは別の神であるイシスの息子「年少のホルス」と区別するためだ。ホルスはファラオの記念碑にも出現し、標章とされる柱…実際には止まり木や都市を意味する円形の上に描かれている。この標章はファラオの行列の先頭で掲げられ、王の称号や統治するノーム(州)を表す。こうした形は南アフリカのジンバブエ遺跡でベント氏が発見した石の鳥とよく似ている。この類似点から、古代中央アフリカで金の採掘をしていた人々と南エジプトの住民には文化的なつながりがあった可能性が考えられる。

 アビュドスで発見されたある遺物には、都市の城壁の上に二羽の鷹が立っている様子が描かれていて、その都市は王たちの都市と呼ばれていたようだ。クイベル氏がコム・エル・アフマルで発見した石板には、ファラオが斬首された敵の遺体を検分している様子が描かれ、その前には二羽の鷹が描かれている。反対面には「北方の国・勢力)」を意味する口に輪をはめられた囚人が描かれ、鷹に手綱を引かれて、ファラオの下に連れて来られている。アビュドスでは、鷹が守護神だった地域を表している。後者のケースでは、神と王は一体と見なされ、ホルスが鷹の姿でファラオの北エジプト征服を示しているのだろう。

 同じ石板には敵の遺体の上に舟が刻まれていて、その上にホルスとしての鷹の姿がある。その横に「従者」」と言うヒエログリフがあるので、この鷹はホルスの従者だと解釈されている。この説の根拠としては、エル=カブ付近の岩に描かれた絵がある。舟に第4王朝のシャル王とクフ王のカルトゥーシュがあり、船首に鷹が止まっているのだ。それぞれの王名の上には「金」を表すヒエログリフの上に立つ二羽の鷹がいて、それぞれ上エジプトと下エジプトの王冠をかぶっている。

 ホルスの従者という称号は、エジプト史でも最古の伝承にまで遡る。後代の文献では、メネス王や統一王朝以前のファラオたち、南エジプトの王や王子たちの称号だったとされている。後世になって個人名は忘れられたが、国中の偉大な神殿を築いた王たちの記憶だけは残されていた。デンデラに残る碑文には、第六王朝のペピ王の治世に宮殿の壁から古い羊皮紙が見つかり、ホルスの従者たちの時代の神殿の設計図だったと記録されている。またエドフに伝わる伝説では、ホルスの従者たちは鍛冶職人だった。鉄の武器を手にホルスに従って敵を打ち破り、ついにはエジプト全土を掌握したという。

 もっとも、エジプト統一までには熾烈な戦いが繰り広げられた。戦場となったのはテーベ近郊のザドミト、デンデラ近くのネテル=カドゥ、ミニア、ベフネサ、ファイユームの境界に位置するアフナス、最終的にはデルタ東端のザル(※シナイ半島への入り口辺りと推定される)に移った。ザルでの戦いで勝利を収めた後も戦は終わらず、ホルスと従者たちは船に乗って紅海を南下、現在のベレニケ近辺で決定打を加えた。勝利ののち彼らは砂漠を越えて凱旋、エドフへと帰還したのだ。

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