アクエンアテンとネフェルティティ

『古代エジプトとバビロニアの信仰』第四章 太陽神とエネアド 4-8

※著作権の切れた書籍を翻訳・意訳して掲載しています。『The Religions of Ancient Egypt and Babylonia』Archibald Henry Sayce 翻訳した文章©StellaCircus

『古代エジプトとバビロニアの信仰』第一章  1-1 1-2 1-3 1-4 1-5 1-6 第二章 2-1 2-2 2-3 2-4 2-5 第三章 3-1 3-2 3-3 3-4 第四章 4-1 4-2 4-3 4-4 4-5 4-6 4-7
流出論(エマネーション)とグノーシス思想の成立

 流出(エマネーション)と呼ばれる思想は、新旧世界が交錯する知的拠点だったアレクサンドリアでギリシアの思想家たちに歓迎を受けた。この原理は世界の創造を説明する理論で、同時に悪の起源をも説明し得る枠組みを提供した。さらにその背後には権威ある古代エジプト思想の伝統が存在していた。

 こうした流出論は多くのグノーシス派体系の基盤となり、やがてキリスト教思想の内部へと浸透していく。別の観点から見れば、この考え方は後世の進化論的発想を先取りするものだったとも言える。

太陽信仰とエネアド(九柱神)の成立

 ヘリオポリスの祭司団による神学体系は、第5・第6王朝期のピラミッド・テキスト以前に完成していた。そこではエネアド(九柱神)が長く確立された教義として登場し、神学的帰結までもが明確に表されている。

 太陽信仰はエジプト宗教の中核として深く根を下ろし、以後揺るぎない地位を占めてきた。エジプト宗教全体が太陽信仰から流れ出る観念と信念によって貫かれ、各地の神々は次第に太陽的性格を帯びていく。

来世観の変化と太陽神の優位

 第19王朝の時代あるいはそれ以前から、来世についての公式な見解が変化する。オシリスに代わって太陽神が中心となり、オシリス的楽園に代わって太陽の聖舟が死後世界の象徴とされた。

 この変化は重要だが詳細な検討は別の機会に譲り、ここではエジプト太陽信仰の最後かつ最も注目すべき展開に焦点を絞る。

発展ではなく断絶としての宗教改革

 この宗教的な変化を発展と呼ぶのは正確ではない。むしろそれはエジプト宗教の伝統に生じた明確な断絶で、それまでの進化過程が一時的に中断された出来事だった。

 だからエジプト宗教の長期的歴史にはほとんど痕跡を残していない。だが人類宗教史全体では極めて興味深い一章となっている。イスラエルにおけるモーセ宗教と同様、これはエジプトに於ける一神信仰を説いた運動だったのだ。ただしモーセ宗教とは異なり、その成功は一時的なものにとどまった。さらに言えばそれは汎神論的な一神論で、それゆえに輪郭の曖昧なエジプト的多神教との闘争に敗れたのだ。

アメンホテプ四世(アクエンアテン)の思想的背景

 第18王朝末期に、アメンホテプ四世というファラオがいる。彼の祖先トトメス三世がシリアを征服し、ユーフラテス河畔にまで及ぶ帝国を築いて以降、アジア的な風俗・習慣、さらにはセム系世界の思想や宗教観念が大量にエジプトへ流入していた。

 父アメンホテプ三世は母や妃が外国出身だったが、宗教においては従来の伝統を維持していた。彼が死去した頃、アメンホテプ4世はまだ若かったと思われる。彼は母ティイの強い影響下で育てられ、その気質も母から受けた教育と深く結びついていたように見える。

 彼の容貌は行動の人というより思索的な幻想家、ファラオというより宗教改革者を思わせるものだった。彼は自らの原動力でもあった宗教運動に熱狂的に身を投じ、その結果、人類史上初めて宗教的な迫害が生まれることになった。

唯一神という観念の変容

 気の遠くなるほど長い間、エジプト人はその時に礼拝している神、もしくは自らの都市や州を守護する神に「唯一の神」という称号を与えてきた。だがそれは他の神々の存在を否定するものではなかった。ここで言う唯一とはあくまで礼拝者にとっての唯一性を示すもので、その瞬間その神にだけ祈りを向けているという意味にすぎなかったのだ。

 太陽理論が発展するにつれエジプトの神々は次第に相互還元されるようになり、唯一神という言葉はすべての神性を統合する表現に変化していった。ただしエジプト人にとってその属性は抽象概念ではなく、具体的な実在だった。

 アメン、クヌム、ホルスは、ある面ではラーの属性を表し、他方では固有の歴史をもつ独立した神格でもあった。その結果生まれたのが霧状の多神教と呼ぶべき宗教形態だ。神々は雲のように互いへ溶け込んだが、新たな統一的個性を持つことはなかった。過去の伝統を断ち切る・遺産の一部を捨てるのを許さない保守精神が、エジプト人を多神教から一神教に踏み出すことを阻んだのだ。

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