メディネト・ハブの羽根つき太陽円盤

『古代エジプトとバビロニアの信仰』第四章 太陽神とエネアド 4-6

※著作権の切れた書籍を翻訳・意訳して掲載しています。『The Religions of Ancient Egypt and Babylonia』Archibald Henry Sayce 翻訳した文章©StellaCircus

『古代エジプトとバビロニアの信仰』第一章  1-1 1-2 1-3 1-4 1-5 1-6 第二章 2-1 2-2 2-3 2-4 2-5 第三章 3-1 3-2 3-3 3-4 第四章 4-1 4-2 4-3 4-4 4-5
神々の同一視と個性の喪失

 九柱神(エネアド)の採用とそれが体現した宇宙論的思想とともに、エジプトの神学には新しい要素が加わった。神々が同一視されるようになり、それぞれの個性を保たなくなるという現象だ。これはヘリオポリスの祭司たちがエジプト全土で広く信仰されていた神々をその体系に取り込み、創造の働きにおける連続した段階として再構成したことから始まった。

 やがて各地の信仰の中心となる場所でも、ヘリオポリスの例に倣って独自のエネアドが形成されていった。その土地の主神が当然のようにエネアドの頂点に立ち、主神はトゥムと同一視された。その神がかつてどのような性質を持っていたにせよ、太陽神の一つの形態となったのだ。二重の人格が作り出され、それはやがて一つに融合していった。

トゥムからラーへ 太陽神の一般化

 だが、ヘリオポリスの太陽神がエジプト全土へと広まっていったのはトゥムとしてではない。太陽神はより一般的で定義が曖昧なラーという名前で各地の神殿に入り込んでいったのだ。トゥムはヘリオポリスの地方神、あるいは太陽三位一体の中で沈む太陽を表す存在として置かれた。そしてラーは神々の世界を統一する存在、太陽そのものの神格となった。

「ラーの子」と王権の再定義

 第5王朝のファラオたちは「ラーの息子」を名乗った。それ以前のファラオは太陽神そのものの化身とされていた(バビロニアの初期の王たちと同じ)が、この時代から称号体系が変化する。「ホルス」という称号は死後の姿―来世における霊的な分身(カー)―に対してのみ使われるようになり、生きている間は「太陽の子(Son of the Sun)」という称号が使われるようになった。

 バビロニアでも同様の変化が起きた。バビロニアでは外国勢力の侵入によって異民族王朝が成立したが、祭司たちは太陽神ベル=メロダクに養子として認められていない王の正統性を受け入れなかった(注 : 古代バビロニアの王は、太陽神ベル=メロダク(後のマルドゥク)によって「息子」として認められる=神と養子縁組する儀式を受けることで正統な支配者とみなされた)。

 おそらくエジプトでも似たような事情があったのだろう。第5王朝はエレファンティネ島がルーツだが、当時のエジプトで極端な辺境にあったエレファンティネには非エジプト系民族が住んでいた。彼らがメンフィスの祭司・諸侯からファラオとして承認を受けるために、その代償として「ラーの子」という称号を受け入れた可能性がある。この称号によって彼らの神性を制限し、同時にメンフィスと関連する大聖域―太陽神ラーを祀る神殿―の神に従属することを意味していた。ウィングド・サン・ディスク(羽のついた太陽円盤)が初めて登場するのは第5王朝のファラオの記念碑だ。円盤が王の像の二つの名前の上に広がり、影のようにその名を覆っている。ホルスの鷹がファラオの霊的な名前(カーの名前)の上に立ってはいるものの、出生名には「ラーの息子」という称号はつけられていない。

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